今年もありがとうございました

 私どもの店はやはり年間を通じて

ある意味この12月のクリスマスの時期を

一つの節目、大きなイベントとして捉えています

37回目のこの時期を終え とりあえず

ひと段落ということでしょうか



クリスマスには毎年、来ていただく方とか

新しい出会いとかいろんなお客様と会い

お話をします

この10年くらいはこのようなWEBでの

注文 問い合わせも多くなっています

顔が見えないのが残念、歯がゆいとも

感じますけど

なぜか だいたいの人柄とか主旨がわかる

気がしています



私は毎週一日必ず畑をやりに車で一時間かけて

故郷の地に行ってます

春、夏、秋、冬と季節が気持ちよく変化していく

自然の中に身をおいて

土のにおいと風の香りを体に感じながら

種を撒き成長を楽しみ収穫を喜んでいますが

この収穫が目的ではありません


故郷にいる父に会いに行くのが

一番の目的です

畑でかなりの労働したあとの

ほんの短い時間になってしまうことも多い

面会ですが充実したひと時とおもっています


私のお店も同じです

指輪を買ってもらったり創らせていただいたり

してお金のやりとりをしているわけですが

それが究極の目的ではなく

それをとうして

お客様との会話やお客様の満足感を

感じるのが一番のうれしいことです


今年、一番うれしかったことは

震災のあと

東北の方からメールを頂き

「私は被災生活をしております。

3月11日 津波に襲われ

車の半分まで水が浸水しましたが

運良く逃げ来ることができました。

そのときにケンジハウスさんの指輪をつけていて

助かりました

この指輪は幸運の指輪です」


というものでした



たまたま指につけていた指輪が

ケンジハウスの指輪だっただけだけど

そういうふうにおもっていただいたことが

本当に

うれしかったです



そして

そのお客様はこの年明けそうそうに

結婚されるということで

結婚指輪のご注文もいただいて

先日 お創りさせていただいて

お送りさせていただきました

そして

お客様から

震災当日つけていたその指輪に

刻印を入れてくださいという

ご希望でしたので入れさせていただきました


「3,11 2:46」 


と。




穏やかな日々の来年を祈念して。
 


マラウイから

 



昨年6月からアフリカのマラウイに青年海外協力隊の

隊員で赴任している次女からプレゼントが届きました







アフリカの原始林に育った大きな木を輪切りにスライスしたものに
KENZI HOUSE 37周年 を彫り込んだテーブルです
3本の足も一本の木から彫りだしてあるようです




荷物が届いたときからアフリカを感じさせました



ラッピングの包装に使ってある袋は
米袋か何かの袋を開いたもの



そのなかの新聞紙もまた ア・フ・リ・カ

そしてさらに感動したものは



縛ってあった紐
少し伸びたりするのでなんなんだろうと思い
思いを馳せた

私の想像ではタイヤかファンベルトを刃物で裂いて
紐にしたものではないだろうかと思っている

先日もマラウイでは
イギリスからの支援物資が少なくなり
物価が上がり暴動が起こり
死者も出たとの報道が日本でされていた

さいはて というか
日本を遠く離れ衣食住のすべてがいままでとは
まったく違う生活のなかですでに1年あまり
あと1年弱。

離れて見て日本の平和を
感ずることは多々あると思う



日本もこの今までの平和ぼけ

そして震災の体験


私達の物質への価値観を少しずつ

いや おおいに変えていかなくては

いけない時代に入ってきたと思う


一過性の出来事 災難、節電ではなく

「紐」一つを大事に作り、そして使うためには

どのように、日々の経済・生活・家族・社会・会社への

心構えが、必要なのかと。


それが今からの私達の歴史を

また創っていく、「さま」であると。






夏になると



 
地図を見るのが好きで

日本や外国の地図を見ていた



国道1号線が目に入り目で追ってみた

「箱根峠」だ

41年前の青春の1ページの

「北海道への自転車の旅」

の通過点



故郷の武豊を出て衣浦大橋を渡り

地図にある国道1号線をひたすら走り続けて二日目の

夕方前に箱根峠の峠でのワンショット



自転車の前後左右にテント・自炊道具・衣類

を乗せての峠越え

トラック達も一緒にすぐ横を爆音を苦しそうに鳴らし登っていた

自転車も反対車線に入ってジグザグに

蛇行しながらでないと登れなかった

手押しでしか登れないカーブもいっぱあった

ポリタンに入れた水をどのくらい飲んだだろう





普通の常温の水で粉ジュースを
食器で溶かして飲んでいる






1号線最高地点という標識があったので
それよりも高く と思い
よじ登って記念撮影







箱根峠を下って芦ノ湖で

2日目のテントを張り

一夜を過ごし

今から、また1号線をひたすら走り東京に

向かう前のほんのゆったりした朝のひと時



箱根峠がどんなところでという情報も無く

この先、何があり、何が無い、という

情報もまったく無いなかで

ただひたすら前に、先にだけ 走っていた。


このあと一ヶ月弱の東北そして、北海道一周の旅の

始まりのほんの序章の一こまであるが

そのままその後の今日までの41年間で

あるように感じている


夏になると

暑い道の中、時折 さーっと

身体に感じる心地良い風や

心洗われる緑の景色との出合い

のどかな街並みや

穏やかな人

との出合いの

自由な旅が

吹き抜ける









メロディーありがとう




14年間、我が家の家族だったメロディーが
天国に逝きました

彼女が初めて家に来たときも 本当に愛くるしく無邪気でした

近くの公園でうちの子供が、
散歩に来ている近所のワンちゃんと戯れているときに
「そんなにかわいがってくれるなら今、生まれた赤ちゃんがいるよ」
と言ってくれて、そのかたの家に伺っていただいてきたのです

メロデイーと名前を子供がつけました

あの日から14年間、数え切れない思い出と

勇気と幸せを作ることになりました

小さかった4人の子供達も
小学校、中学校、高校、大学と大きくなり
社会人となり自分達の家庭とは違う 離れたステージに
出向いていくようになりました

長女が北海道に仕事の場を移したときも
長男が大阪で仕事をしているときも
次女が何度となく国内外に旅行しているときも
次男が夢を追い続けひたすらサッカーにうちこんでいるときも

そんな入れ替わりの頻繁な我が家の日常のなか
妻はわが子に接すると同様な献身的な
メロディーとの日々でした

メロディーはいつも、
いつ帰ってくるかわからない子供達を
まるで今日の夕方には帰ってくるであろうことをを疑わず

朝 見送り

でも何ヶ月も待っていて

数ヶ月後に家に帰ってきた子供達を

まるで今朝、別れたかのように、何事もなかったかのように

帰ってきたときは全身で尾っぽを振って

歓迎して

迎えてくれました



でも さすがに、昨日

嫁いで福岡にいる長女
仕事で抜け出れない長男
昨年からアフリカに行っている次女
先月 アメリカに戻った次男には
逢えなかったけれど

十二分にお互いに気持ちは
通じ合えた最後の別れでした




 


散歩に出かけようとすると
もう はしゃいで紐が体に巻きつくほど
よろこんでいた彼女の姿

公園で棒を投げて、くわえて持っておいでと
言っても気まぐれに持ってきたり

また、まるで私達をもてあそんでるかのように遊びながら
寄り道して持ってきたり

じらされたり はたまた機嫌を
損ねてはいけないと気遣い
すぐに走って持ってきたり。






メロディーは
本当にその名のごとく
私達家族の調和の音をいつも上手に奏でてくれていた
存在でした

深く考えてつけられた名前ではなかったけれど

結果的にはまるで天使が舞い降りてきたかのような名前です

まさにオーケストラのタクトを穏やかに振る指揮者でした
彼女はそんなことは意識していたわけではないと
思うけど

いつも柔らかな旋律を流してくれ続けてくれました


彼女は人間ではなかったけれど

彼女の存在は多大なものがあったと

思っています



純粋に人に接し

純粋に喜びをからだにあらわし



家族達の家の内だけの

和みの存在にとどまらず



私達家族が、それぞれのステージで

活動できたのは

家に帰ったときに

彼女のからだいっぱいの幸せな歓迎を

あたえてくれるから

私達は外に行くことができたのだと思います




彼女への、精一杯の恩返しを

私達はこれからの毎日のなかで

していこうと思っています






彼女が息をひきとったすぐあと

妻が言った

「メロディーほど、いい犬はこの世の中に いないよね」

と涙しながら。





記念植樹



穏やかな春の一日でした

2週間前に生まれた長男の子供。

春に生まれた女の子なので

桜を記念植樹してきました






すでにまさにこの時とばかりに

きれいな花をつけています





他の木の倒木による巻き添えとか
日当たりとか
木が成長したときのこととか
いろいろ考え、場所が決まりました

木を植える作業は
時間はかからないけれど
近くにもともとあった木を
切ってしまうのは
かわいそうなので
根を掘り起こし移植したり
大きな石を
移動したりの作業が
大変でした

この空間にもともと生育
していた諸先輩達の木々に
調和しながら
「自然」の外敵や虫や
気候に
見守られながら
自ら順応して行って欲しいと
願うばかりです

三人目の孫の記念植樹で
この「緑遊縁」に
三本の木が仲間入りです

東北に少しずつ
春というにはまだまだですが
一歩ずつ少しずつの歩みを
願っていたい



 If it takes forever I will wait for you
For a thousand summers I will wait for you
Till you're back beside me, till I'm holding you
Till I hear you sigh here in my arms

Anywhere you wander, anywhere you go
Every day remember how I love you so
In your heart believe what in my heart I know
That forevermore I'll wait for you

The clock will tick away the hours one by one
Then the time will come when all the waiting's done
The time when you return and find me here and run
Straight to my waiting arms

If it takes forever I will wait for you
For a thousand summers I will wait for you
Till you're here beside me, till I'm touching you
And forevermore sharing your love

また新しい家族、入会

 



3月24日に長男の子供が
誕生しました

穏やかな顔です

何の世俗も感じさせ無い、純真無垢な「生」です

ほんのちょっと前に思える、
自分の4人の子供達と
戯れながら肌を接しながら成長を日々
実感したのとは違い
孫は少し離れながらの
「気をやりながら」です

私の両親の誕生した時代
私の誕生した時代
私の子供の誕生した時代
そして今、孫の誕生した時代

時代の色は
変わってきています

私の親の時代は戦争も幾たびかあり
大変な時代だったと思う
食うもの・医療・仕事
何一つ充分なものは無かったと思う。

私の時代はそんな時代が過去に
なりかけ始めている そんな時代の
幼少期であり、そして高度経済成長期
の日本真っ只中の時代だったと思う

私の子供の時代はそんな二つの時代
を知る由もない時代の中で育ってきた

孫の時代はまさに
この日本が追い求めてきた価値観が
大きな転換の時代に入ってきたと
思っている

この、まさに震災のさなかに
誕生したということは
新しい日本の価値観の
模索の中に生きていくことになるだろう

経済至上主義の歯車のなかに
入ることが生き様だった価値観が
どこかで破綻するということが
なんとなく少しずつ皆が
感じ始めてるのではないだろうか

戦後の日本の復興といい
あの時代、親達が生活を作り上げてきた
力強さといい
日本人の持つ良さが
今からもまた
発揮されて行くであろう


日本は時間はかかるであろうが
きっと
「すばらしい日本」を
取り戻すと信じている


そんな時代の中に
孫達は優しく同化していって欲しい と。







いつのまにか、いつか

 

小・中学校と同級生の
同郷の友達がこの3年前位から
ついに視力を失い盲目となりました

この20年位で少しずつ視力が
なくなってきてました

彼は今の会社を二代目として
がんばって大きくしてきました。
でも 最近 そんな事情もあり
息子に代を換えました

点字を学んだり、いろいろ努力してくるなかで
この3年間 うちの店の近くにある
盲学校で あんま の技術を修得し
この春に地元で一人で開業します

今年の正月に飲み会で彼と
話をしていて
彼が今からのスタートせんとしている
この仕事でこころから人を

「癒したい」

という心を強く感じ
指輪を創らせてもらうことにしました

彼の心がお客様に伝わるようにと
彼の鼓動がお客様に伝わるようにと

表には
HEALING BY TAKAO
と18金でつながった文字が
更にリングの内側の彼の指
に直接、接するように創ってみました

そしてまたその線が表に出てきて
HEAlINGの i の文字の点になり
お客様の肌に接し
体温が伝わりあうように
デザインしてみました
















私の祖母も私が小学校の頃には
ほとんど視力を失い

祖母が、知り合いのところに行きたい時は
私はよく手をつないで一緒に行ったものでした
物心つく年頃というか
町を一緒に歩くと、知った人とかに
逢うのは少し恥ずかしかったけれど
それ以上の事もそれ以下の事も
特に何も思わなかった

着いた先で
祖母が友達と
長い井戸端会議をしているのは
長く感じたが嬉しいことでした


祖母もそうでしたが
私の友人も
明るく、冗談の通じる人間です

彼の視覚の中に入らなく、会話を
している自分は
いかに現在、余計な事に体裁を言動して
しまっているんであろうかと
感じることがしばしばです

このかん、ブログに
どんなことを書き記そうか
考えてるさなかに

東北での大震災がおきました
文明を追い求め
文明に慣れ文明が日常化すれば
するほど逆境での順応能力が
落ちていっている気がします
今一度 自然と人間との調和の
スタイルを考え直すときではないかと
思っています

いや自然への人間の調和を。






春 まじか の風

 

久しぶりの「緑遊縁」での一日でした
目の前の木々は
芽をまさに今、吹かんとしています

少し先の道にはまだ雪が残っているけれど
もう雪の季節は過去であるかのような
春のみを待つ景色になってきています
・・・落ち葉燃やしで
    写真はガスってますが・・・

落ち葉や冬の名残りの清掃の一日でした

居るだけで・時間が過ぎていくだけで
気持ちが、体内から浄化されていく気がします

RESORTとは
気の向くままに動いたり
はたまた
何もしなくて海・山を見て時間をともに
することだと感じます







小さな子供にとって
いつも目にするものは
興味深いもの・欲しいものに
なるもののようです

孫の家に配達に来る
「ヤマト運輸の車」

なかなか手に入らない
と言ってました

それなら創っちゃおうと
思って創ってみました





3月1日の3歳の誕生日のお祝いに。

先頭車はお父さん号
二番目はお母さん号
三番目は三歳の誕生日の男の子
四番目はこの前生まれた女の子







ずーっと
仲良く一緒に  と。


JET STREAM



遠い地平線が消えて、

ふかぶかとした夜の闇に

心を休める時

はるかな雲海の上を

音もなく流れ去る気流は、

たゆみない宇宙の営みを

告げています

・・・・・・・
・・・・・・・
・・・・・・・

ミスターロンリーのバックミュージックとともに
こんなナレーションで始まったラジオを
受験勉強のさなか
耳にしながら
まだ見ぬ外国の土地に
いろんな夢を抱き
青春の時間を
足踏んだ。

テレビでは
「兼高かおる 世界の旅」
という番組もやっていた。

まだ見ぬ物・国が
夢溢れる
近い将来
現実可能なこと
として
「糧」
に感じた

「外国が夢 飛行機が夢」
そんな青春の過ごし方だった。

最初に飛行機に乗ったときは
まさに夜間飛行だった
離陸・ジエット音・雲海・機内アナウンス
・・・・・・・・・
英語でしゃべってくるスチュワーデス
・・・・・・・・・

すべてに感動した
初めて現実のものになった という
感じがした


結婚して
子供達は
記憶に残らない年齢のときから
飛行機には普通の感じで乗っている

この時代差、はなんだろうと
思う

次男はアメリカ
次女はアフリカにいるが
電話 メールですぐに
つながるが
私にとっては
遠い国だから
遠い国としておくために
ほとんどメール、電話はしない。



この番組を25年間、ナレーターを
勤めていた 城 達也の
最後の言葉

「25年間ご案内してきましたこの番組

今夜でお別れです

お送りしていますこの音楽が

美しくあなたの夢に

溶け込んで行きます様に。

さようなら」

さらっと短い言葉で深い絵のような
コメントをし
彼はその二ヵ月後、他界した。

彼の声と
彼に夢を構築してもらった。




 

豆の物語

 




100年前に北海道に入植した人たちは
自分の故郷の家にあった「いんげん豆の種」を
大事に持って北に向かったという。

過酷な労働の開墾が終わるとすぐに
持ってきた種を撒いた。

そんなふうにして600種位の種類が
あるという

持っていくのにかさばらず
そして極地でも発育し、家族が食い物に困らないように
ということだったのでしょう

そんな先祖代々の「種」を
大事に今も育てている
二つの家族の物語があった。

ひとつの家族はその「種」で大規模農業を営み
片やもうひとつの家族は90歳近い老夫婦だけの
春夏秋冬の畑仕事の「種」の物語でした

大規模農業は一日でも撒く時期が遅れると
収穫量に大きな差がでるといい
収支のバランスを崩す

神経をすり減らす。

老夫婦の畑は隣近所からもらったりもした「種」
も楽しみながら育て味わう。

芽が出ないこともあっても
「残念だった また来年」
と微笑む。

同じ「種」とのかかわりでも
人間ストーリーが
人によって変わってくる。


バリの原風景

純粋な子供達の瞳が
このままであって欲しいと思うし
何か違う方向にいって欲しくないと。


ふと思い出す

18歳の時に自転車で行った北海道で
お世話になった方に
30年後に再会に行ったときに
出た会話を思いだした

「ちょうど30年前にみえたころに
開墾した時の木の根っこが
やっと30年後の今 腐って形が無くなってきたです」






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